愛し合ってるかい?王様の引力 その1
みんなに聞きたいことがあるんだ、愛し合ってるかい?
キヨシロー、忌野清志郎である。
2007年と2008年の境目、風の強い幕張。
そこで開かれたカウントダウンジャパンで大トリとして現れたのがキング・オブ・ロック、忌野清志郎だった。
当時関西のド田舎に住む高校生であり、お金が無くていつもならどうやってもたどり着けない世界だったけど、この時だけは違ったのだ。
本当に、「たまたま」、年末に関東の親戚に用事が出来て今年の年末は東京で過ごそうという話になったのよ。
素晴らしい偶然、神に感謝、行くしかない。
お年玉は全部ここに使おう。
すこし当時の私の背景の話。
中学生の頃、「プライド」というドラマがあった。木村拓哉が主演である。主題歌は I Was Born To Love You。
そう、QUEENのボーカリスト フレディ・マーキュリーのソロ曲である。
このドラマのヒットとともに日本には再びQUEENのブームがやって来て、ベスト盤がリリースさたりしてた(多分ね)。
ミーハーな母が買ったそのベスト盤(メンバーのプロフィールまでついてて、マジで覚えるほど読んだ)を、とうの母以上にはまり込んでしまった。
なけなしのお小遣いで過去のアルバムを買い漁り、見かけた中古ショップの棚の「洋楽 Queen」の項目は全てチェックした。手の届く範囲の金額なら全部買った。
今思えばもっさりしたサイトまみれだったがインターネットは宝の山で、当時のファンかたが綴る思い出を読み漁り、動画サイトでライブ映像を探し、海外サイトまで巡ってメンバーの今むかしの話を知り、フレディ・マーキュリーの追悼ライブ(本当にすごいのよ、ジョージ・マイケルって。)で涙を流した。
今で言うすっかり「沼」ってやつであった。
そんな訳で、中学2年から3年の間にすっかりQUEENの虜、ロックンロールって最高の文化だな、と思った。
QUEEN語りはまた別のところでするとして、QUEENでロックを覚えた私は洋楽邦楽問わずそれらしきものは新旧問わず触りまくってみた。
お金がとにかくなかったので、某ブックオフの某めちゃ安いコーナーに入り浸ることになったけど……。
そんな中でオ!と響くものがあった、80年代後半から90年代にかけてのいわゆる「バンドブーム」世代の人達の音源である。
(詳しい時代考証は苦手なのでふんわり感じてね)
とりわけ気に入っていたのはTHE BOOMとボ・ガンボス、筋肉少女帯など。
ブームはお年玉を使ってファンクラブに入るなどした。
10歳以上離れたリアルタイムファンの方と文通などした(あったんだよペンフレンド募集コーナーが)。
私が行けない東京のイベントの冊子をわざわざコピーして送ってくれたりしたっけ、思えば出会いに恵まれていた。
この頃になると(多分高1とかそのへん)いっちょ前に自分の趣味で講釈を垂れる場が欲しくなり、今読むと相当ウザイ感じのブログなんかも開設した。
自作のポエムを毎日更新したりもした。かなり恥ずかしいぞこれは。
そんなウザめのブログでもなんちゅうか本中華、類は友を読んじゃうわけで、読者や相互リンクのブロガー達ができた。
彼らとコメント欄でクソポエムを褒め合い(ヒー)、ロックンロールを語り合い、映画を薦め合う日々の中でかの人の名前が出るのはもはや必然的だったように思う。
何故ってぼくらのアイドル・アイコン達の歩みを辿ると、その先にほとんど必ず、忌野清志郎はあのお化粧、あの出で立ちで立っているからだ。
だからRCサクセションも、タイマーズも名前も曲も少しずつ知っていたし、当時は教養みたいなもんでしょ?と思っていた。相当にウザくて恥ずかしい。
当時、忌野清志郎はガンだった。
歌手の命である喉にそれを患っていた。
どこか忌野清志郎を人間離れした何かだと思っていので、何故だか彼が死ぬわけないと思っていた。
カウントダウンジャパンのスーパーメインに彼の名前が現れた時にも、ついに復帰なんだな、としか思わなかった。
数々の魅力的な出演者たち。
テレビや雑誌、動画サイトでしか(もうめちゃくちゃ茶の間なのだ)見れなかった人達の名前がズラズラ並んでいる。
当時の出演者の記録はこちら。(https://rockinon.com/quick/cdj0708)
※ここではキヨシローのことばかり書くがCoccoやサンボマスターもめちゃくちゃ凄かったし、木村カエラの顔の小ささには息を呑んだよ。
滅多に得られないチャンス、キング・オブ・ロックを生で見たことをブログの皆に伝えようと思って東京に行く荷造りをしたことはよく覚えている。
意を決して迎えた当日、ディズニーランドにゆく父、母、従兄弟、祖父母と別れて付き添いの叔母(このあたりが田舎モン)とともに初めての幕張へ。
いきなり強風で激萎えしながら会場入り、なんだこの風、千葉って怖いところだと思った。
若干遅れて入ったため、あちこちのステージからは既に音が聞こえていた。
この声は175Rのショウゴだ。
内心湧き散らかって居たけどイキリ・トガリ・キッズ(激モサ)であるため、真顔で(ただの暗い芋である)向かうのは物販コーナー。
やっぱフェスってTシャツやん。
芋、どピンクのフェスTシャツを買い、嬉しそにうにトイレで着替える。
あの時会場まで着てきた服はどうしたのだろう?
そんな事は全く思い出せないほど、この後の体験は色濃く、衝撃的であることも知らずに、
ピンクのTシャツの芋太郎はとりあえず腹が減ったので屋台で焼きそばを買い、その輪ゴムのごとき食感にドン引きするのであった。
続く。